ぴか歯科

歯科医師です。これまでの人生や仕事についての考えを述べます。

笹山直規さんの個展に参加して【第二章】個展会場―ルンパルンパでの出会い

4月30日まで(→5月27日までに延長されました!!)金沢で開催されている笹山直規さんの個展「YOU & ME WILL DIE SOMEDAY」について。本日は、第二章「個展会場―ルンパルンパでの出会い」をお送りします。

 

  1. 笹山直規さんとの出会い
  2. 個展会場―ルンパルンパでの出会い
  3. 個展に参加して変わったこと(仮)

 

4月にルンパルンパで、私は4人の方と出会いました。笹山直規さんの絵を囲み、死について語ったり、お仕事や日常についてお話しをしたり。初めてお会いしたにも関わらず、職業や経歴関係なく、人として大切な繋がりを持てたことを心から嬉しく思いました。

 

ちょっぴり失礼な発言もあるかもしれませんが、私が素直に感じた気持ちとともに、4人の方をご紹介させていただきます(皆様には、投稿に際しご了承を得ました。勝手な投稿をお許しくださり、感謝しかありません…)。

 

まずは、4人の方と集うことのできた個展会場、「ルンパルンパ」についてご紹介します。

 

<アートギャラリー、ルンパルンパ>

石川県野々市市(ののいちし)にあるアートギャラリー、ルンパルンパ。新進気鋭のアーティストの実験・表現の場として、現代美術・現代工芸を中心に興味深い企画展を多く行われています。元々は雑貨屋さんをされていた経緯もあり、作りも可愛らしくて、内装の土壁なども素敵。後にご紹介する絹川大さんがギャラリーの管理をされています。

 

私は主に絹川さんのTwitterhttps://twitter.com/rempahrempahrem)で情報を収集しているのですが、「面白い!」と思う展示ばかり。近くにいたら、度々足を運んでいそうなギャラリーです。

 

それでは、ここからは、個展会場で出会い、私に大切な刺激をくださった4人の方をご紹介します。

 

<絹川さん>

金沢駅からタクシーを飛ばし、13時になろうとする頃に到着。会場で迎えてくれたのはルンパルンパのオーナー、絹川大さんだった。絹川さんにお会いして感じた第一印象は、「とても変わった距離感を取る方だ」ということ。身近にあまりいない、でも面白さと得体の知れない何かを秘めた方だと直感してしまった。

 

笹山さんにお会いするまでの時間や、途中で二人でお話しする時間があったのだが、絹川さんのお話を聴いていると、心がすっと溶け込み、素直になれる気がした。雑貨屋さんだった会場の雰囲気もあってか、初めて来たのにとても居心地がいいと感じた。

 

絹川さんと、笹山さんの絵や死についてお話をする中で、いくつか特に心に残ったことがあったので、帰りの飛行機でメモしたままを載せようと思う。

 

“映画やアニメは背景ありきでの死。でも絵画は背景も分からず、死体と直面することになる。だから恐怖感や嫌悪感が強く生まれるのではないか”

 

“辛いこと、見たくないと思うものを敢えて見たいと思うのは、人間の真理なのではないか”

 

これらはきっと、絹川さんが笹山さんや、笹山さんの絵をよくご存知だからこそ語ることのできる内容。そして全ては伺えなかったが、絹川さん自身の様々なご経験からくるお考えなのだと思い、深く納得させられた。飄々としつつも、時折熱く語られる絹川さんの横顔はとても素敵だった。

 

そんな絹川さんと2時間、3時間と一緒にいるうちに、物理的な距離感が縮まってきたことは嬉しかった。最初は格闘技で牽制し合うかのような距離感で、なかなかパーソナルスペースに入れてくれない方なのだなと思っていたが、気付けばお隣で話をしていた。だんだんと目を見て話してくださったのも、心の壁が溶けてきたようで嬉しく思った。

 

そして、帰りの時間まで30分程になった頃、「○○さん(私の名前)って面白いですね」と絹川さんに言われた。わ、私が面白い??とびっくりし、思わず聞き返してしまった。こんなに特別で人間的に深い方に面白いと言っていただけるなんて、驚きと喜びしかなかった。

 

ああ、もっと話したいな、そう思いながら、時間になりルンパルンパと絹川さんにお別れを告げた。私は帰りの飛行機の離陸中に、今日のことを思い出しながら、「絶対にまたここに来る。絹川さんに会いに、絶対にまた金沢に行く」と誓った。

 

<笹山さん>

30分ばかりだろうか。絹川さんとお話をし、少し打ち解け盛り上がりを見せていたところに、その方はタクシーで現れた。会いたい、会いたい、絵と発言が私を惹きつけ、私を金沢まで導いた不思議なご縁のある方、笹山直規さん。急に主役登場となり、私は絹川さんと話していた時の言葉の滑らかさを失っていた。「あ、は、初めまして」とでも言っただろうか。

 

喜びと畏れ多い気持ちでうまく話せずにいると、とても丁寧にご挨拶をくださった(多分そうだった、正直、頭がプチパニックだったので覚えていない)。覚えていることとしては、「あ、怖くない、思っていたよりも気さくな方だ」と思ったこと。レイバンの眼鏡の奥の瞳は、とても優しく、心地よいお湯のような方だなぁと見ていた。

 

目の前にいる笹山さんは、Twitterのプロフ画で想像していたよりも、はるかに温かい方だった。ものの数分で、最初のぎこちなさを忘れてしまうほどに、まるで昔からの知り合いかのように、すっかり笹山ワールドに溶け込んでしまった。

 

私が勝手に思っただけかもしれないが、笹山さんの発言や思いは、自分にとって自然で、すっと入ってくるものがあり、この方に会うために金沢まで来てよかった、と心底思った。

 

この日だけでも数件取材が入っていたが、まるでマネージャーか近親者かのように、取材の間もずっとそばに居させていただいた。笹山さんはどんな取材にも動じることなく、考えがブレることはなかった。

 

目線も心も、まっすぐな方だなぁと思った。世にはいろんな人がいるが、心から信頼できる、きれいな心を持った方だと思った。

 

私はこの日は遠慮なく、笹山さんのお話をたくさん聴かせていただいた。なんと言っていいのか分からないが、生きるパワーのようなもの、そう言った何か大切で元気になれるものを、笹山さんからいっぱい与えていただいた気がした。

 

笹山さんのお話で心に残ったこと。たくさんありすぎるのだが、機内でメモしていたものを載せる。

 

“死に関係なく人間を描きたいと思っている。死ぬ瞬間には、通常では起こらない身体の変形(あらぬ方向に身体が曲がるなど)があり、それが美しく見えることがある。死の瞬間は絵に残さないと後世に伝えていくことができない”

 

これが自分にとって「忘れたくない」と思った特別な言葉だったようだ。「美しい瞬間を絵として残したい」、その気持ちはとても分かる気がした。私は絵に関して特別何かを学んだことはないが、素直にそう思った。

 

そして、笹山さんの絵を見て、やっぱり美しいと感じた。死体がどうのこうのではない。ただ、美しく、見ていたいと思った。

 

もちろん、最初、会場で絵を目にし、「怖い」と感じてしまった自分はいた。でも、ずっとその空間にいることで、いつのまにか死体という絵が日常に溶け込んでいた。それこそ、「ありふれた死と何気ない日常」という個展のテーマに帰結していた。

 

私は誰にも言わなかったが、「ここで絵を買って帰ろう」と考えていた。だからこっそり、ギャラリーの絵画を集めた紙に書かれた値段を見ていた。「本当はあれが欲しい。でも今の自分に買えるのは、飾れるのは…」などと非常に現実的なことを考えていた。

 

でも、こういうものは考えるものではないと思っている。何をいつ買うか、などではなく、「欲しい」と思ったその時がその時なのだろうし、部屋の大きさ云々考えている間は、きっと絵をお迎えする状態に自分がなっていないのだろうと思う。

 

もっと私がいろんなことに向き合えるようになった時、瞬間的に絵を抱きしめて離したくなくなった時、そんな時に一緒に帰らせていただこうと思って、ただ目の前にある絵を十分に見る時間を大切にした。

 

<加賀城さん>

ふいに現れたその方は、丸くて可愛らしい優しい目と、ビューラーをしたかのようにくるんときれいにカールした睫毛が特徴的だった。

 

「どなただろう」、そう思いつつも、笹山さんや絹川さんと親しげに話すご様子を、どれだけ見ても飽きない目元とともにじっと観察していた。

 

「もう僕、今日3回目ですよ」、その発言にびっくりした。同じ個展に1日に何度も来るというやり方があるのか…?これまで美術館でお金を出して整えられた展示会にしか参加したことのなかった私はそう思った。

 

笹山さんと絹川さんのお話から、その方のお名前は加賀城さんとおっしゃること、染め物をされている方だということを教えていただいた。どうしても作品が見たかったのと、会話の中で何度聞いても苗字を聞き取れなかったので、ご本人にお名前を伺ってしまった。

 

「加賀城健」とお名前を聞きながらiPhoneで検索すると、目の前の方とはいくらか違って見える写真と、作品が出てきた。作品を目にした途端、私は「わぁ、これ、好き!」と思った。色合いだったり、色を付けられている材質だったり。一瞬で作品のファンになってしまった。

 

加賀城さんは大阪の方をメインに活動をされているらしい。飛行機でも新幹線でも、何を使ってでもいい。是非とも直接、拝見したい。近い将来、加賀城さんの作品を見に行く自分を、想像した。

 

加賀城さんは、帰り際、ギリギリまで会場にいたがる私を車で駅まで送迎してくださった。どこまでも感謝が尽きなかった。お忙しい中、本当にありがとうございました。

 

<任田さん>

笹山さんと絹川さんといるところに大きなカメラを持ち入ってきた方。てっきり取材の方とばかり思っていたら、「彼も絵を描いているんですよ」と紹介された。お名前は任田教英さん。ご本人を前に遠慮なくお名前をググって作品を拝見した。

 

そこには見たことがあるようで見たことのない絵があった。ピクセルアートというらしい。「わぁ、すごい」、思わず絵を見て、そう漏らしてしまうと「これ1つずつ、手描きなんですよ」と確か絹川さんが教えてくださった。

 

私は任田さんの絵に関して、「とにかく楽しんで見たい!」という想いが強い。特に最近Twitterに上げていらっしゃる制作過程の動画や画像。これがたまらなく面白い。私は何かができる途中過程を見るのが好きなこともあり、ご褒美でしかない。

 

それに過去ツイートを遡ってみて、その「オタクっぽさ」にも激ハマりしてしまった。任田さんのYouTube、動画を撮るときにスイッチオンする感じもたまらなく好きだ。

 

今回の笹山さんの個展についても動画をアップされているので、ぜひご覧いただきたい(→https://youtu.be/MZdQMm8IG8U)。他にもゲーム実況などもされており、俗にいうオタク要素を持つ方に惹かれがちな自分は、「分からないけど面白い、このオタクっぽさ、最高…!」と思ってしまった。

 

今回はあまりお話しができなかったが、次回お会いした時にはお話ししてもらえるだろうか。少ないやり取りの中で、とても誠実で、まっすぐで嘘のない方だなぁと思っている。また金沢(ルンパルンパ)に行きますので、ぜひ集いましょう。お願いします。

 

 

以上、長くなったが、私がルンパルンパで出会った大切な4人の方を独自の視点から紹介させていただいた。「こんな風に書かせていただきたいのですが、大丈夫でしょうか」とお伺いを立てた際の内容と、いくらか変わってしまったのだけれど、より自分の思う正直なところが言葉になったように思う。

 

個展開催の1週間前に決まった、弾丸金沢の旅。それなりの費用は要したが、後悔はしていない。個展に行った自分と行かなかった自分。どう考えても、あの瞬間に行ったことで、人生で得るべき大切なものに出会うことができた。

 

直接足を運んで作品を目にし、あの場でお話しした時間がどんなに素晴らしいものであったか。今の仕事や職場に違和感を感じながら生活をしている自分にとって、内にあるものを全て取り出して洗われたかのような、新しく気持ちよく、どこまでも自然でいられる空間があった。

 

ただ、反省点が1つある。私は弾丸のあまり、身ひとつで旅に出てしまい、手土産を持つという発想を持てなかった。だから次回皆さんにお会いする際には、ご当地もので皆さんがお好きなものを持ってお伺いしようと思っている。

 

この言葉を言い訳に、図々しくもまた、4人の方に会いに行こうとしている。

 

Special thanks: 笹山直規 絹川大 加賀城健 任田教英(順不同、敬称略)

 

2022/04/30 追記

私は笹山さんの個展で、一枚も写真を撮りませんでした。絵も、出会った方とも。目の前にあるものが全てで、今、この空間を感じるままでいたいと思ったから。記念撮影なんかいらない、きっとまた会えると思ったから。

 

行けて本当によかった。全てのもの、人、ことに感謝です。

 

2022/05/01 追記

4月30日までの開催予定でしたが、ご好評により5月27日までの開催へと延長されております。皆様にぜひ、足を運んでみて、笹山さんの絵から溢れる「何か」を感じとってほしいです。

2022/05/16 追記

第三章、更新しましたが削除しました。まだ、自分の家族の死について、話せるほどにメンタルが安定していなかったようです。また歯科の発信を再開していこうと考えています。

笹山直規さんの個展に参加して【第一章】笹山直規さんとの出会い

まず言っておく。これは誰に頼まれたわけでもなく、私が勝手にやっていること。投稿に際して笹山さんにお伺いを立てたところ、私の表現の自由を最大限に尊重してくださったこと。

 

そして今日は2022年4月23日。笹山さんの個展は4月30日まで開催されている。少しでも気になった方は、ぜひ足を運び、実物を目にしてほしいと思う。きっと何かが変わるから。少なくとも私は、個展に行き人生観が変わった。

 

個展に関して、長編になったため3部構成とします。

  1. 笹山直規さんとの出会い
  2. 個展会場―ルンパルンパでの出会い(仮)
  3. 個展に参加して変わったこと(仮)

 

全てはこのツイートから始まった。

金沢で4月末日まで行われている笹山直規さんの“ありふれた死と何気ない日常”をテーマにした個展「YOU & ME WILL DIE SOMEDAY」。3月半ばに出展について知り、「行きたいけど仕事もあるし、今からだと飛行機も高いから、次の機会に」と考えていた。行けもしないのに、会場と日程の案内のみスクショして保存していた。

 

そんなある日、「(個展のDM)誰かもらってくれませんか」と笹山さんのツイートが。タイムリーに見ていた私は「こんな見ず知らずの人に言われても困るだろう…」とコメントを躊躇したが、「心底貰いたい…です」とつい頭の中にあった言葉をそのまま送ってしまった。

 

すると笹山さんからすぐにお返事が。私が行けないのなら個展のDMを送ってくださると言う。私は感動してしまって、すぐに自分の住所と本名を連絡した。そして続くツイートに対し、売り言葉に買い言葉のように、勝手に私が腹を括ったことから、この5日後には金沢へ降り立つこととなった。

 

私が笹山直規さんの存在を知ったのは今年の3月5日。そう、存在を知ってから直接会うまでに1ヶ月も経っていない。さらに笹山さんを知ることになったきっかけは、ご本人の絵ではなく、なんとマゾヒズムに関する投稿だった。

 

もう消してしまったけれど、当時私はSとかMとかについて割と真剣に語っていたので、関連する内容を検索した際に、目に留まったのだろう。

 

自分でも、まさかあれがきっかけだったとは、とツイートを遡りながら目を疑ったが、出会いというものはちょっとした偶然が重なってできるものだということを身を以て感じた。

 

そして当時、それまで恐れていた死に対して「近づきたい」というフェーズに自分がいたこともあり、笹山さんの描く絵に急速に惹かれ、毎日ツイートを見るようになった。ただ、単に「死」が描かれているからではなく、笹山さんの絵から出される何かに惹かれていたことは間違いない。

 

さらに笹山さんとの出会いを盛り上げてくれたのは、新宅睦仁さんだった。

 

私は新宅さんの投稿を見ると、全て「いいね」をしてしまいたくなるくらいに新宅さんのツイートやお考えが好きだ。そんな方から、笹山さんとのやり取りを機に、こんなにテンションの上がるご投稿をいただけるとは。ほんの数日前に、「今一番会いたい人」として名前を掲げたお二人と一度に関われたのだから、感動しかなかった。出会いは行動力とタイミング。これを心に刻んだ。

 

最後に、個展の詳細はこちら。

個展に参加して出会った方々、そして参加したことでいかに自分の考え方が変わったかについては、続く二章、三章で述べていきます。

 

 

Special thanks: 笹山直規 新宅睦仁(順不同、敬称略)

この一連の投稿に際して、"Special thanks"としてお名前を掲載する皆様に、投稿内容に関して了承を得ました。どなたも快くご対応くださり、温かいお言葉をくださったことに心より感謝を申し上げます。

 

画像を含むツイートは埋め込みができなかったため、スクリーンショットにて対応させていただきました。

私が本当に発信したいこと

夜中の3時になろうとしていますが、今のうちに考えを整理しておきたく、冷凍餃子を横に書いています。

本日(昨夜)、ミニチュア写真家 田中達也さんのツイートをきっかけに、大学生の時に感化された本について思い出しました。

 

Amazonの履歴とともに当時よく読んでいた本を振り返りつつ、「ああ、自分はやっぱり将来は歯科医師としての開業ではなく、何かしらで起業することを考えていたんだな」と自分の想いを再認識しました。

 

「将来は歯医者で稼いで、カフェを作る」これは私の口癖でした。「私は歯医者で終わりたくない。歯医者は人生のゴールではなく、あくまでも好きなことをやるための手段」。思ったよりも深いところで、そう考え続けていたことに気付きました。

 

歯学部に入ったのに、なぜ?と思われるかもしれませんが、自分が歯科医師を目指したきっかけは大きく3つ。「人の笑顔が好きだから」「美味しいご飯を作ること、食べることが好きだから」「人と楽しくお話しすることが好きだから」。

 

そのいずれも歯に関係することであり、もともと医療系を目指していたことや、とある先生との出会いによって歯科医師を目指すようになりました。

 

在学中は悲しいことに、歯学部にいながら、歯には全く興味が沸かない自分に気付きました。気付いていながらも、そんな馬鹿げたことは親に言うことができず、ただ歯科医師という第一目標に向かって進むのみ。入学時は割と優秀な成績だったにも関わらず、勉強を放棄し留年をしてしまった時。親にとても驚かれたのを覚えています。

 

私が在学中に歯学部で感じていた違和感。それは、一人暮らしをしながら人に揉まれて生活していく中で、自分が歯に関する学問よりも、人の心と身体の健康を保つことや、人との関わりのなかで学ぶことを大切にしたいという思いを強めたからだと思います。

 

現在、尊敬する恩師の下で歯科医師として仕事をする中で、それは仕事を通して実現可能なことを学んでいます。しかし同時に、本当に私がしたいこととは少し違う、という違和感も感じています。

 

私は自分のように、「なんだか進むべき道が違うかもしれない」と思っている人たちに、少し広い選択肢や考えを提示してあげたい、と思っています。なぜなら、自分は周りにそういった人がおらず、勉強に身が入らない自分が悪いんだ、と自分を責めながら過ごしてきたからです。

 

自分が王道ではない道を歩むことで、もっと好きなことをやりながら生きていく道を作りたい。さらに、歯科に限らず、その世界で新たな道を創っていこうとする人と関わっていきたい、そう思っています。

 

私は仕事人間でもあるから、自分がやってきたこと、特に口腔外科という分野においては熱く語りがちです。でも、別に口腔外科や歯科の内容ばかりを語りたいわけではない。それよりももっと大きく、仕事との向き合い方や考え方、学生時代にやってよかったこと、気をつけていればよかったこと、それをお話ししていきたいと考えています。

 

仕事としては歯科医師しかやっていないから、発信の入り口は歯科になってしまうかもしれない。けれど、本当に語りたいことはその中身や想いです。分かりにくい文章でしたが、どなたかに伝われば、と思います。

 

少し長くなりましたが、最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

 

おすすめ本については、まとめてみたい。

 

こういった仕事で役立つちょっとしたコツとか、好き。

 

 

【研修医向け】親知らずの抜歯に伴う「下歯槽神経損傷リスク」を分かりやすく説明するには?

※歯学部生〜研修医を対象とした投稿のため、多少の専門用語が含まれます

 

本日のツイートで、診療を楽にするためにやっておくといいことの1つとして「言葉のストック」をご紹介しました。

 

言葉のストックの中でも、患者さんに分かりやすく説明するために、今回は「親知らず(智歯)の抜歯に伴う下歯槽神経損傷リスク」について、実際に私が使っている言葉の例をご紹介します。

 

下顎管に近接する智歯を抜歯する際に生じる併発症に「下歯槽神経の損傷」があります。では、下歯槽神経の損傷リスクを患者さんに説明する際、どのような説明をすると理解が得られやすいでしょうか?

 

「この辺(下歯槽神経支配領域、下唇からオトガイにかけて)を触った時に感覚が鈍くなる」というのを患者さんがイメージできるように説明するため、私がよく使っているのは

 

万人向け「ご飯粒が付いてても分からないことがある」

お化粧をする女性向け「口紅を塗った時に違和感を感じる」

 

といった表現です。通り一遍な説明の中にも、より日常生活での分かりやすい具体例を出すことで、「あー、なるほど」と患者さんにもイメージをしてもらいやすくなります。

 

上記は私が使っていて患者さんの反応がいいなと思ったものに過ぎません。自分らしい、より良い言葉のストックを作っていくには、説明が上手な先生は何と言われているのかを注意して聞いて取り入れること、実際にその症状で治療をされている患者さんのご意見を伺うこと、自分が近い体験をした場合はその時のことを言語化してみること、などをやってみるといいかと思います。

 

ちなみに麻痺や知覚鈍麻の感覚を伝えるには、「薄い膜を一枚貼ったような感じ」「歯科医院で麻酔した後のような感覚」などと表現すると伝わりやすいです。

 

もちろん併発症はない方がいいし、起こらないように気を付けます。でも、生じる可能性をゼロにすることはできないから、事前に説明し、患者さんからご理解を得ることは大切です。自分では説明した気になっていても、患者さんに伝わっていないのなら、説明をしていないのと同義です。だから、本当の意味でのインフォームドコンセントを得られるよう、日々工夫を重ねていきたいものですね。

 

次回、「併発症」について、投稿の予定です。併発症と合併症、偶発症。これらの言葉の使い分けは正しくできていますか?少し恥ずかしいような語呂も含め、ご紹介します。ちょっと低レベルな投稿になりそうですが......ご覧いただけると嬉しいです。

 

2022.4.22追記

併発症について投稿予定でしたが、急遽内容を変更して投稿いたしました。

申し訳ありません。

 

 

 

診療していて悲しくなったこと

※一般の方にも読んでいただけるよう、専門用語はやや噛み砕いています

※診療内容が個人と繋がることのないよう、十分に配慮して投稿を行っております

 

 

勤務先の歯科医院での、とある日の出来事。

 

歯周病の治療で受診されたご高齢の患者さん。認知症があり、プラークコントロール不良、歯肉は発赤腫脹を伴い、易出血性の状態。超音波スケーラーを用いてスケーリングをする際、歯肉にチップの先端が軽く触れただけでも、身体をのけぞるようにして痛がる様子を見せる。手用スケーラーに変えても、タフトブラシに変えても状況は変わらない。

 

この方にとって、口腔清掃の時間ができるだけ短い方がいい。そのためにはスケーラーの強さをわずかに強めた状態で清掃を行い、速やかに終わらせた方がいい。でも、強めると痛みは増す。かと言って歯面に固着した歯石を含めて除去するには、ある程度の力は必要であるし、弱く持続的に刺激を与え続けることもまた、この方にとっては苦痛になる。

 

「傘を持たずに雨の中を帰る時、走って雨に当たる時間を短くした方が濡れにくいのか、それとも歩いて体表面に当たる機会を少なくした方がいいのか」、まるでそんな議論をしているかのようだと頭を異次元にやりつつ、ギリギリの配慮を以て処置するも、痛がる患者さんを前に、徐々に気が削がれていってしまう。

 

それにこういった状況の方の口腔内は、こちらがマスクを二重にして処置をしていても、耐え難い歯周病特有の匂いを発する。不快な匂いは人にダイレクトに苦痛をもたらす。特に私は匂いに敏感だから、尚のこと。

 

今日、ここで自分が汚れを落としてあげなければ、これ以上の質の清掃を受けられる機会はこの方にはない。そう思い、できるだけ状況が良くなるようにと、プラークなり歯石なりを除去するように試みるが、やはり反応を見ると心が苦しくなり、あと1mmを攻めきれない。

 

私は人が嫌がることをしたいわけじゃない。でも、どんなに配慮しても今のこの方にとっては苦痛に思えることをしている。それに対する葛藤と不快臭、歯肉からに滲む出血、それに来院が遅れたことによる診療時間の制限も加味し、イライラしてしまっている自分に気付いた。

 

普段、診療中に不快感を顔に出すことはない。それなのに今、マスクの下で私は明らかに嫌な顔をしてしまっている。自分の未熟さも含め、行き場のない怒りを感じた。

 

もっと、もっと普段のブラッシングができていたのなら。最低限のプラークコントロールができていたのなら。この方の歯周病はもっと軽く済むし、医院での処置も簡単で苦痛が少なく済むのに。そう思わずにはいられなかった。